サンテステフ・コミューンの最北の少々内陸に位置しており、最も北にある格付けされたシャトー。1775年には既にプルミエ・クリュ・ドゥ・サンテステフの権利を獲得し、このコミューンで最初のワインエステートとなった。18世紀には、シャトーは有名なニコラ・アレキサンドル、マルキ・ドゥ・セギュール(1697~1755)に属しており、彼は結婚によって所有権を獲得。マルキ・ドゥ・セギュールは、一時期ラフィット、ラトゥール、ムートン、カロン・セギュールすべてを所有していたことがある。彼は、「私は、ラフィット、ラトゥールでワインを造っているが、私の心はカロン・セギュールにある。」と言い、よってこのハートをデザインしたラベルが存在する。シャトーの名前を変えたのはこのマルキで、元来カロンとして知られていたのをカロン・セギュールとした。「コメント提供:ピーロート・ジャパン 株式会社」