Like!:8
4.0
【帰ってきたアリゴテ子ちゃんとクロい奴らの会】5 次の2本はゆーも様&hiro様のお持ち込みによる豪華な飲み比べです(^_^) まずはこちらから ジャン・クロード・ラモネ ブーズロン2021 白ワインのトップ生産者の1人であるラモネのアリゴテ。 ラモネではブーズロンとブルゴーニュ・アリゴテをリリースしており、どちらもいただいたことはありますが、今やアリゴテといえども高価になり、同時に飲み比べするのはかなり贅沢(^_^) 昨年のアリクロ会後に「次はラモネの飲み比べをやってみたい」と申し上げたところ、ゆーも様から「では、私達の持ち込み用にキープします」というアリゴテいお申し出があり、キープしていただいたもの。 というのが私の記憶ですが、ゆーも様は「chambertin89さんに命令された」って(@_@;) 命令はしてないですよね(笑) 格付上は村名のブーズロンが上ですが、昨年のパタイユの飲み比べの時のようにブーズロンの方が柔らかいと予想してブーズロンからテイスティングします。 といっても同時なので、あまり意味はないですけど(笑) 色合いからしてまだペールイエローのブーズロンと濃いゴールドのニュアンスのあるブルゴーニュ・アリゴテと対照的で、フルニエとパタイユの対比と似たような印象を受けます。 香味もやはりブーズロンの方がまろやかで飲み比べるとその違いは歴然としているように思いました。 単体で飲むとブーズロンも酸のレベルは高く感じるのでしょうが、飲み比べるとブーズロンは白桃、洋梨の甘美さや白い花系の香りが主体的に思えます(^_^) どちらが良いかは飲む方の好み次第でしょうね。 美味しいブーズロン、ご馳走様でした(^_^) 【ショップ情報】 1920年代前半、ピエール・ラモネによって設立されたドメーヌ。ピエールが最初に購入したのは1.5haのシャサーニュ1級レ・リュショット。現在では誰もが認めるトップ・ドメーヌも草創期の原点はここから始まりました。ドメーヌ設立当時の1920年代から元詰を開始、その直後にアメリカ市場に紹介されたことが、世界最高の白ワイン生産者の1人として今日の名声を獲得するきっかけとなりました。初代ピエールは1994年に他界するまでカーヴに立ち続けた伝説の人物で、そのワイン造りの精神は2代目アンドレ、3代目ノエルにもそのまま引き継がれています。醸造自体は意外にもシンプル。このドメーヌの名声を支えてきたのは、紛れもなく畑での細やかな作業によって産み出されるブドウの質の高さに尽きます。ブドウ樹の生体バランスを失い、樹の寿命を早めるとして夏の摘房を避け、春先の摘芽、摘穂を5~8芽だけ残すように厳しく行ないます。雹や霜の被害にあって収量が激減しても「その時は仕方ない」と考えます。これは、収量よりも、品質を最優先としている証です。このドメーヌでは、ブルゴーニュにありがちな「お家騒動」を避け、また、婚姻や相続などによって畑が分割されてゆくのを防ぐために、ブルゴーニュではいち早く親族で会社組織にしました。これにより、後世努力を怠ることがない限り、ドメーヌの名声は約束されるでしょう。 ラモネ家のブーズロンの畑La Tournelleラ・トゥールネルの区画は最上のリュリーを生み出す、ドメーヌ・デ・ラ・フォリーのベストパートに近接。西向き平地でゆっくりと熟成が進み、 酸とともに柔らかい果実味を併せ持ちます。谷を挟んで向かい側東向きに畑を所有するDRCのヴィレーヌ家と並び称される、最上のブーズロンです。 【その他】 ラモネというと思い出すのは昔読んだワイン本にあったエピソード。 ある日本人の方がブルゴーニュを観光で訪れてあちこち散策していたところ、たまたま通りがかったある生産者の敷地の前で、地元のお爺さんに「今日は娘(孫娘)の結婚式をやってるから、お祝いのワインを飲んでいきなさい」と声をかけられました。 プライベート用なので、エチケットも貼っていないマグナムボトルから白ワインをご馳走になりました。 実はそのワインはラモネのモンラッシェ!(バタールだったかも知れません) 多分、そのお爺さんはピエール・ラモネだったのではないかと、今にして思いました(^_^) アリクロ会でもこのエピソードをご紹介し、aiaisarusaru様からもブルゴーニュを訪問された時の思い出話をご披露いただき、会話も楽しいアリクロ会でした(^_^)
chambertin89
Vinica アプリ 無料ワインを探す・記録・SNS
使い方・機能紹介を見る
【帰ってきたアリゴテ子ちゃんとクロい奴らの会】5 次の2本はゆーも様&hiro様のお持ち込みによる豪華な飲み比べです(^_^) まずはこちらから ジャン・クロード・ラモネ ブーズロン2021 白ワインのトップ生産者の1人であるラモネのアリゴテ。 ラモネではブーズロンとブルゴーニュ・アリゴテをリリースしており、どちらもいただいたことはありますが、今やアリゴテといえども高価になり、同時に飲み比べするのはかなり贅沢(^_^) 昨年のアリクロ会後に「次はラモネの飲み比べをやってみたい」と申し上げたところ、ゆーも様から「では、私達の持ち込み用にキープします」というアリゴテいお申し出があり、キープしていただいたもの。 というのが私の記憶ですが、ゆーも様は「chambertin89さんに命令された」って(@_@;) 命令はしてないですよね(笑) 格付上は村名のブーズロンが上ですが、昨年のパタイユの飲み比べの時のようにブーズロンの方が柔らかいと予想してブーズロンからテイスティングします。 といっても同時なので、あまり意味はないですけど(笑) 色合いからしてまだペールイエローのブーズロンと濃いゴールドのニュアンスのあるブルゴーニュ・アリゴテと対照的で、フルニエとパタイユの対比と似たような印象を受けます。 香味もやはりブーズロンの方がまろやかで飲み比べるとその違いは歴然としているように思いました。 単体で飲むとブーズロンも酸のレベルは高く感じるのでしょうが、飲み比べるとブーズロンは白桃、洋梨の甘美さや白い花系の香りが主体的に思えます(^_^) どちらが良いかは飲む方の好み次第でしょうね。 美味しいブーズロン、ご馳走様でした(^_^) 【ショップ情報】 1920年代前半、ピエール・ラモネによって設立されたドメーヌ。ピエールが最初に購入したのは1.5haのシャサーニュ1級レ・リュショット。現在では誰もが認めるトップ・ドメーヌも草創期の原点はここから始まりました。ドメーヌ設立当時の1920年代から元詰を開始、その直後にアメリカ市場に紹介されたことが、世界最高の白ワイン生産者の1人として今日の名声を獲得するきっかけとなりました。初代ピエールは1994年に他界するまでカーヴに立ち続けた伝説の人物で、そのワイン造りの精神は2代目アンドレ、3代目ノエルにもそのまま引き継がれています。醸造自体は意外にもシンプル。このドメーヌの名声を支えてきたのは、紛れもなく畑での細やかな作業によって産み出されるブドウの質の高さに尽きます。ブドウ樹の生体バランスを失い、樹の寿命を早めるとして夏の摘房を避け、春先の摘芽、摘穂を5~8芽だけ残すように厳しく行ないます。雹や霜の被害にあって収量が激減しても「その時は仕方ない」と考えます。これは、収量よりも、品質を最優先としている証です。このドメーヌでは、ブルゴーニュにありがちな「お家騒動」を避け、また、婚姻や相続などによって畑が分割されてゆくのを防ぐために、ブルゴーニュではいち早く親族で会社組織にしました。これにより、後世努力を怠ることがない限り、ドメーヌの名声は約束されるでしょう。 ラモネ家のブーズロンの畑La Tournelleラ・トゥールネルの区画は最上のリュリーを生み出す、ドメーヌ・デ・ラ・フォリーのベストパートに近接。西向き平地でゆっくりと熟成が進み、 酸とともに柔らかい果実味を併せ持ちます。谷を挟んで向かい側東向きに畑を所有するDRCのヴィレーヌ家と並び称される、最上のブーズロンです。 【その他】 ラモネというと思い出すのは昔読んだワイン本にあったエピソード。 ある日本人の方がブルゴーニュを観光で訪れてあちこち散策していたところ、たまたま通りがかったある生産者の敷地の前で、地元のお爺さんに「今日は娘(孫娘)の結婚式をやってるから、お祝いのワインを飲んでいきなさい」と声をかけられました。 プライベート用なので、エチケットも貼っていないマグナムボトルから白ワインをご馳走になりました。 実はそのワインはラモネのモンラッシェ!(バタールだったかも知れません) 多分、そのお爺さんはピエール・ラモネだったのではないかと、今にして思いました(^_^) アリクロ会でもこのエピソードをご紹介し、aiaisarusaru様からもブルゴーニュを訪問された時の思い出話をご披露いただき、会話も楽しいアリクロ会でした(^_^)
chambertin89